本文へスキップ

難聴などの聴覚障害をお持ちの方に、ちょっとしたアイデアや製品でより快適な生活を送って頂くために

こちらもどうぞ!聴覚障害を扱った物語

聾者、突発性、中途失聴、老人性難聴者などが送る様々な人生

区切り 区切り

 聴覚障害を扱った物語


耳の聞こえないお医者さん、今日も大忙し

窓の画像

フィリップ・ザゾウ 著  相原真理子 訳

これは耳が聞こえない著者が、医者になるのにどれほどの障害を乗り越えてきたかという苦労話やそれを克服してきた自慢話を書き綴ったものではありません。
もちろん聴覚障害というハンディを乗り越えて医者になった経緯については述べられていますが、どちらかというと「耳の聞こえないお医者さんと楽しい患者たち」という題名でもよいほど、実際の患者たちとの診察や生活風景を主体に描かれているエッセイ集のような感じです。

「耳が聴こえないために・・・」というよりも「耳が聞こえないおかげで」患者の声を誠実に聞こうと努力もできるし、人とのかかわりにより強い興味をもつことができたという点で、家庭医にとってはマイナスどころか却ってプラス面の方が大きかったと述べています。

事実、診療所に訪れる患者とのいろいろなエピソードは、その一つ一つがいかにも楽しそうに語られているのにびっくりします。というより、このフィリップ・ザゾウ氏はひょっとしたら医者よりも小説家に向いているのではと思ってしまうほど文章力が豊かで(もっとも、最近では小説なども書き出したとの後日談が載っていましたので元々その素養がある人なのでしょうが) 、最後までとても楽しく読み終えることができました。

では、本文の中から心に残った一節をご紹介しましょう。

わずかではあるが、聴力が残っている事は幸せだと思う。おかげで音のある世界の一部を経験できる。だが、そのためにかえって苦労することもある。わたしはアメリカ社会の主流派にいるため、人はわたしが理解できる以上のことを期待する。とくにそれが顕著なのは、おおぜいで話しあいをするときだ。わたしが話についていけないと---ついていけないことが多いのだが---当惑する人もいる。多くの専門家、それに聴覚障害者とかかわる人たちは、全ろう者より難聴者の方がいろいろな面でやりにくいと指摘している。全ろう者は手話しか使わず、ろう社会の一員となる。しかし難聴者はどっちつかずになりがちだ。ろう社会に完全に入りこむことはできず(手話が使えない場合はとくに)、かといって健常者の社会にとけこむのもむずかしい。いわば八方ふさがりの状況だ。そうした困難にもかかわらず、わたしはアメリカ社会の主流に入ることに成功したと思っている。


通販のご紹介 通販のご紹介
Amazon販売ページ

聴覚障害を扱った物語の一覧リストへ

トップに戻るボタン




ナビ下画像

難聴支援画像

高齢者用グッズ選びへのバナー
amazonプライムPRへのバナー
ネット通販ガイドへのバナー