本文へスキップ

難聴などの聴覚障害をお持ちの方に、ちょっとしたアイデアや製品でより快適な生活を送って頂くために

こちらもどうぞ!聴覚障害を扱った物語

聾者、突発性、中途失聴、老人性難聴者などが送る様々な人生

区切り 区切り

 聴覚障害を扱った物語


プライド

プライド

米内山明宏 著 
(副題:ろう者俳優 米内山明宏の世界)

著者は両親共に耳の聞こえないろう者の家に生まれ、自分も生まれながらにしてろう者であるという運命にみまわれました。
このサイトのコンテンツ「聴覚障害を扱った物語」で取り上げている物語の主人公は、なんらかの病気か事故による中途失聴者であり、家族には聞こえる人たちがいて、その家族とのコミュニケーション手段としては口話を主なものとしているパターンが多くを占めています。
そして「聞こえる側」と「聞こえない側」を分断しないためには口話中心の障害者教育の方がより好ましいという論調がメインだったような気がします。
しかし、米内山さんのように生まれながらにして「聞こえる」というものがどういうものかが分からない、なおかつ、家庭内のコミュニケーション手段が日本手話という日本語とは異なる独立した言語を使用していた環境で育った子供にとって、口話中心の教育というものがいかに不合理で人間性を損なわせるものであったかを、ろう者の子ども自身にとってもはなんの楽しみもなかった「口話だけを強制する学芸会」を例にとって訴えています。
米内山さんは「ろう者のろう者に寄るろう者のための演劇」を実現された「ろう者俳優」ですが、口話だけの学芸会が先生たちの成績発表会でしかなく、ろう者が演劇を楽しむものとはかけ離れていた事に対する痛いほどの反発が、その源になっていたようです。

ろう者であってもいろいろな機会を積極的に捉え、常に前向きに進んできた人生が読むものにも勇気を与えてくれますが、この本のバックボーンは「ろう者であることの誇り」「手話を用いることのプライド」であることが明白であり、それが本題「プライド」の由来ともなっています。

それでは、本書の中で心に残った一節をご紹介しましょう

私個人は、筆談が聞こえる人と聞こえない人が最も対等な立場でできるコミニケーション手段だと思っている。その点だけは、母と私の意見が違っていた。母は「声も筆談も両方できればそれに越したことはないんじゃない」と言っていた。
しかし、手話に対して母は特別な思いがあった。小学部に通いはじめ、しばらくして一人の先生が手話を禁止させたいあまり、「手話はくだらない、猿真似だ」、「手まねは動物のようでみっともない、発音がきちんとできるのが人間というものだ」などと、それこそ教師とも思えないくらい、口汚く手話を罵ったことがあった。「じゃあ、うちの両親は動物なのか」と何ともやるせない気持ちになったものの、その場では何とかこらえ、家に帰って両親の顔を見たら、たまらなくなってそのことを告げた。
すると、両親はさすがに怒ったが、私に対しては冷静に、「ちょっと待ちなさい。じゃあ、犬や猫や魚や鳥に手話ができる?」と逆に聞いてきた。確かに言われてみれば、それらの動物は口をぱくぱく動かしたり、声を出したりはできるが、手話はできない。
「手話が人間らしいの、誇りを持ちなさい」
その一言のおかげで、私自身、その時から手話に対し、漠然とではない、確固とした誇りをもてるようになった気がする。


通販のご紹介 通販のご紹介
Amazon販売ページ Amazon販売ページ


聴覚障害を扱った物語の一覧リストへ

トップに戻るボタン




ナビ下画像

難聴支援画像

高齢者用グッズ選びへのバナー
amazonプライムPRへのバナー
ネット通販ガイドへのバナー